中高6年間を満喫しよう!~学校生活~
高2の倫理授業『生命をめぐる倫理問題』の授業風景。
臓器提供について考えるにあたり、ドキュメンタリーなどを通じて、さまざまな立場や価値観に触れます。
人間教育の
根幹としての「倫理」

倫理科主任の壱岐太先生。
栄光学園の卒業生でもあります。
栄光学園では「他者のために、他者とともに生きる」ことを教育の根幹に据え、カトリックの価値観を土台とする人間教育を重視しています。特に「倫理」の授業は生徒の内面に働きかける学びとして、中等教育期において重要な役割を果たしています。
一般的な「道徳」や「公民科倫理」とは異なり、同校の「倫理」は聖書の教えや宗教的価値観に依拠しながらも、それを押しつけるものではなく、生徒一人ひとりが自身の感性と理性をもって問い、考え、他者との関係のなかで自分を見つめる時間を大切にしています。
「校長が担当する中1倫理の授業では聖書を題材にすることもありますが、それは教養として触れるものであり、宗教的な徳目や行動規範を教え込む授業ではありません。むしろ自分の感じたことに素直に耳を傾け、自分の内面的な変化や感情の動きと向き合う時間にしてほしいと思っています」(倫理科主任/壱岐太先生)
生徒の心に届く授業づくり
「対話」と「問い」の実践
壱岐先生の授業は答えを出すことではなく、自分の内面と向き合うことに重きをおいています。
「道徳のように“こうするのが正しい”と教えるのではなく、本校の倫理では“あなたはどう感じたか”“どう選ぶか”を問いかけます。正解を探すのではなく、生徒自身で『それはなぜなのかを考える』ことが第一歩なのです」
その姿勢は教材の選定にも表れています。毎年、生徒の内面に響くドキュメンタリーや時事的な題材を選びながら、思考と感情の両面を揺さぶる工夫がなされています。
例えば高2の「臓器移植」をテーマにした授業では、臓器提供を受ける患者側と臓器を提供するドナー側、双方の立場を描いた映像資料を見せると言います。
「同じ出来事でも視点が変われば見え方も変わる。相手の立場を想像することで、自分の考えにも“揺らぎ”が生まれ、その揺らぎが深い学びへとつながるのです」
単に知識として倫理的な事柄を学ぶのではなく、他者の立場に立って考えることで、感情を伴いながらの学びとなります。授業ではこうした教材を基点に、自分の内面から自然に湧き上がってくるものを素直な言葉で表現することが求められます。
「ありのままに思ったこと、感じたことを書いたり、分かち合ったりする活動を大切にしています。そこでは、大人が期待することを察するのではなく、自分の本当の心の声を大切にしてほしいと思っています。生徒の多くは自分の考えをもつことや、それを表現することに不安を感じています。だからこそ私の授業では、“正解がないことを恐れない”という姿勢を共有し、安心して自分を出せる空気感を大切にしています」
倫理の授業は単なる知識の伝達ではありません。むしろ問いを抱えながら揺らぎ、迷い、時に立ち止まる、生徒の成長プロセスそのものを肯定する学びの時間です。知識の定着度や試験の点数などのように数値では測れないこの教科こそ、中等教育期に必要だと強調します。
「時に葛藤し、反発し、それでも対話を重ねながら自分を見つめていくプロセスこそが、生徒の内面に深く根を張る時間となるのです。生徒を型にはめるのではなく、『今、この生徒たちにとって必要な問いとは何か』を常に探り、試行錯誤しながら授業をつくり上げています」
2017年3月に竣工した校舎。鉄筋コンクリートと木造のハイブリッド構造で、これまでの3階建てから2階建てに。
休み時間になると生徒たちが一斉に外へ飛び出し、のびのびと走り回ったり、友達と語り合ったりする姿が印象的です。
2階建ての校舎は、どの教室からも屋外へ足が向く造りになっており、
生徒たちは教室の内外を自由に行き来しながら遊び、考え、学んでいました。
勉強に集中する時間も大切ですが、自然のなかで身体と心を解放しながら得られる経験は、
多感な時期にこそ欠かせないものです。
成長に応じて編成される「倫理」の授業
「倫理」は、全ての学年で必修という、開校当初から一貫して実施されてきた同校独自の科目です。中高6年間を通じた一貫教育の利点を活かし、心身の発達段階に応じて柔軟にカリキュラムを編成しています。
「例えば高2では沖縄への修学旅行と連動し、基地問題や戦争について学びます。授業は中1で週2時間、ほかの学年では週1時間行われます。ここで重視しているのは、『さまざまな立場の視点から物事を捉える』という姿勢です。沖縄戦を扱う際には日本軍兵士・米軍兵士・現地召集の少年兵・一般住民など、さまざまな立場の証言を手がかりに、多角的な視点での理解を促します。このように、生徒の成長段階に応じてテーマや手法を工夫しながら授業を展開しています」(壱岐先生)
倫理の授業 実施テーマ例
(2024年度 中1保護者会・倫理教育説明資料より抜粋)
「共に生きる力」を育てる
メディエーションの導入
2016年より倫理の授業で「メディエーション(対話的解決)」のプログラムも導入しています。これは裁判のように勝ち負けを決めるのではなく、当事者同士が話し合い、納得できる形で問題を解決しようとする調停的なアプローチです。
「この実践は私が中1の倫理を担当した際に、当時のスクールカウンセラーを通じて一般社団法人メディエーターズとつながり、協働で始まったものです。専門家を招いて行うこの授業では、対話の難しさや他者と向き合う際に求められる姿勢を、実践的に学ぶことができます。
自我とは、他者との相互作用のなかで形成されていくものです。だからこそ生徒たちに“話す” “聴く”という経験を通じて、関係性を築く力を養ってほしいのです。ピアサポート(「仲間〔peer〕」同士が互いに支え合う活動のこと)や、いわゆる“メディエーター育成”が目的ではなく、全ての生徒にメディエーションの考え方に触れてもらうことで、お互いの関係性をより良くしていくヒントを見つけてほしいと思っています」
倫理の授業がめざす「共に生きる力」は、まさにこうした体験を通じて少しずつ醸成されていくのです。
授業Report
高1倫理
『メディアリテラシー』
この日の授業は、朝日・読売・日経・神奈川新聞4紙の1面を比較。
それぞれの共通点や違いを読み解きます。

同じ話題でも写真や記事の大きさ、伝え方、扱い方に違いがあることに気づきます。

気づいた点やその理由をワークシートに書き込み、一部の意見はクラス全体で共有します。

こうした違いはなぜ生まれるのか。メディアの仕組みや、視聴者・スポンサーとの関係について学びます。

メディアの構造を理解したうえで、「動画サイトで利益を出すには?」という課題に取り組みます。

人間の内面に働きかける
栄光学園という「場」
同校には学校生活のあらゆる場面において、人間の内面に働きかける文化が息づいています。その象徴的な取り組みが、授業や式典の前後に行われる『瞑目(めいもく)』の時間です。静かに目を閉じ、自分の内なる声に耳を澄ますこの時間は、キリスト教的な祈りに由来するものでありながら、信仰に関係なく全生徒がごく自然に取り組んでいます。
「本校では本人が望んだ時にいつでもキリスト教の価値観に触れられるよう、希望者に向けて聖堂の開放や聖書研究会なども行っていますが、ミサや宗教の授業も強制されることはなく、信仰の自由が尊重されています。瞑目も自分の心に向き合う時間として本校に根づいている営みです。私の授業では、冒頭に瞑目することで、“今日ここで何を受け取りたいのか”を自分自身に問いかけてもらう時間にしています」
最後に壱岐先生は「倫理の授業の“成果”が見えるのは、卒業して何年も経った後かもしれません」と話します。
「卒業後、あるいは人生の転機にふと立ち止まった際に、『あの時先生が言っていたことが、今ようやくわかった気がする』── そんなふうに思えるのが倫理教育であり、それこそが栄光学園の学びの本質と言えるのです」
授業Report
高2倫理
『生命をめぐる倫理問題』
この日の授業はいつもの教室を離れ、「倫理科教室」で行われました。

導入では、栄光学園75期生(高2生)を対象に実施した臓器移植に関する意識調査を紹介。臓器を「提供する」と答えた生徒が多数を占めました。

アンケートに答えた生徒の感想も取り上げながら、「生命をめぐる倫理問題」の前半が進められます。後半の授業後には再びアンケートを実施。意見の変化にも注目します。

教材は生命倫理の教科書とともに、日本臓器移植ネットワーク(JOT)の冊子『日本の移植事情』を使用。「脳死」などの基礎知識を学んでいきます。

この日は臓器を「提供する側」に焦点を当てたドキュメンタリーを視聴。家族やコーディネーターなど、移植に関わる人々の思いに触れます。次回は臓器移植を「受ける側」の立場からも学んでいきます。










